それを すてるなんて とんでもない! ――更科功『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』感想
「おーい、センセーよ。事実がわかったらいさぎいいたァ… あんた…なかなかに男だなァ。」
「ふん。
そんなのがお前ら肉体労働者だけのものだと思ってるトコロが… シロートなんだよ。」
――藤田和日郎『からくりサーカス』
古代中国においては,権力者は「食客」と称すタダ飯喰らいをわざわざ雇って抱えていた.敏感過ぎるユーザー・インターフェースは,普通に扱うには辛すぎる.更に,他人の本棚を見るのはとても楽しい.……どれもニュアンスは同じ.急がば回れ,である.有事に役に立つものは,普段はクソの役にも立たないから,食客を雇っておく.あまりに感度の良すぎるマウスは,一部の人間にしか適合し得ない.そして,他人の本棚はその人の来歴であり過去であり興味である.
急がば回れ.過去を知ることは,もしかしたら現在未来を知ることにも繋がるかもしれない.未来を知るために過去を探る,ではなく.基礎研究のほとんどがそうであるように,何が将来の役に立つかわからない.そして,生物は「DNA」という過去を常に引きずりながら積み重ねながら生き,それを残していく.過去と現在は常にDNAという鎖で繋がっているのだ.
化石に含まれるDNAやタンパク質を調べる「分子古生物学」.それに惹かれた人々や見えてきた真実,なにより科学の魅力を丁寧にひとつひとつわかりやすく説明したものがこの本である.
概要
第1章 ネアンデルタール人は現生人類と交配したか
ヒトはサルから進化した,この言説は誰もが聴いたことはあるだろう.現代に生きる人類は,数十億人全てが学名を「ホモ・サピエンス」,和名を「ヒト」という同一の種である.ならば,動物園にいるニホンザルは,進化したらヒトになるか.また,今までに人類は1種類しかいなかったわけではなく,「ネアンデルタール人」と呼ばれる人類がかつていた事が知られている.では,現生人類にはネアンデルタール人の遺伝子が受け継がれているのか.また,それはどうやって調べるか.
第2章 ルイ十七世は生きていた?
フランス革命最中の1793年,元国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは断頭台の露と消える.その結果新国王となったルイ17世は,タンブル塔に幽閉されたまま2年後に,わずか10年ほどの短い生涯を病気によって終えた.ところが,「この時死んだ少年は替え玉で,本物は既に国外へ逃げおおせた」という噂が広まる.そして19世紀には,当然のようにルイ17世を名乗る人物が多数出てきてしまった.その中でも最もそれらしい立場にいたドイツの時計職人,シャルル・ギヨーム・ノンドルフ.……さて,彼は本当にルイ17世だったのだろうか.それを確かめる手段とは.そして,「ミトコンドリア・イブ」とはなにか.
第3章 はく製やミイラのDNAを探る
クアッガ,というウマがいた.半分シマウマで,半分普通のウマのような奇妙な体を持つ動物だ.既に絶滅してしまったが,幸いな事に剥製は残っている.このクアッガは,シマウマとウマ,どちらに近いのだろうか.また,エジプトのミイラのDNA研究の難しさとは,更に,それを克服する手段はどんなものか.
第4章 縄文人の起源
ヒトの顔を「縄文顔・弥生顔」なんて区別することがままある.前者は彫りが深く立体的な南方アジア系の顔で,後者はあっさりして平坦な北方アジア系の顔である.この2つは果たして違ったルーツを持つのか.そして,1980年台に起きた分子生物学の革命とは.
第5章 ジュラシック・パークの夢
マイケル・クライトン『ジュラシック・パーク』という1990年に出版された小説では,琥珀の中に閉じ込められた蚊が吸った恐竜の血液から恐竜のDNAを採取,それにバイオテクノロジーを用いて恐竜を復活させる,という面白いストーリーが展開される.そして,実際に琥珀の中のシロアリからDNAが採取できたことを契機に,恐竜のDNAの研究が加熱した.その結果とは.DNAの状態の良さとアミノ酸に相関はあるか.また,琥珀の陥穽とは.
第6章 分子の進化――現在の人類は進化しているか
現代のヒトである「ホモ・サピエンス」は20万年前に進化したといわれる.今ここで,大雑把にホモ・サピエンスは20万年前に「ホモ・ハイデルベルゲンシス」から進化した,と仮定しよう.進化はゆっくり起こるのだから,21万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスと20万年前のホモ・サピエンスに違いはほとんどないはずだ.それならば,どうして名前を区別しているのだろうか.分子の進化速度とは.そして,人類は進化しているだろうか.
第7章 カンブリア紀の爆発――現在のDNAから過去を探る
古生代の最初の時代,およそ5億4千年前から4億9千年前までの時代を「カンブリア紀」という.これより古い「先カンブリア時代」の化石は数も少なく,多様性もあまり見られない.それに対してカンブリア紀に入ると,突然にたくさんの,しかも三葉虫のように硬い殻や高度に発達した眼を持つような,バリエーション豊かな化石が見つかりだした.このカンブリア紀初期における生物の急激な多様化を「カンブリア紀の爆発」と呼ぶ.これによって,現在の生物のボディプラン(=門)が一斉に成立したといわれている.では,この爆発はなぜ,どのように起こったのか.それはどのように確かめればよいか.理学と工学の違いとは.
第8章 化石タンパク質への挑戦
恐竜の復活.それは人類の夢なのかもしれない.2005年に,恐竜の化石の中に血管や赤血球のような構造が見つかった,という研究が発表された.その中で抗原抗体反応と質量分析計を使って,その中に含まれていたコラーゲンというタンパク質のアミノ酸配列の断片を解明した,とある.同様に,恐竜の化石に含まれるタンパク質の研究が多数挙がってきた.これらの研究の問題点と改善点はどこにあるか.そして,分子古生物学の魅力とは.
感想
さすがに新書だけあって,最大公約数的な分かりやすさと気配りに満ちていて読みやすく,特に肝となる実験とその論証は自然に頭に入ってくる.技術の進歩に伴い段々とテーマとなる時代が古くなっていくのも,過去を探っている感に溢れていて引き込まれるものだった.なにより後半のテーマは恐竜,燃えないわけがない.あえて言うなら,各章の話題や必要な知識があっちこっちに飛ぶので,ななめ読みでは理解しづらくてもったいないくらいか.
何が役に立つかわからない.中学高校で「数学の何が役に立つんだよ」と嘯くと周りにある電子機器を全否定しなければいけないし,歴史は教養として以上に「人間の行動・思想」を内在しているからコミュニケーション能力に活かされることとなる.ありとあらゆる知識は必ず将来にフィードバックを与える.……というよりは,その知識が必要となったら思い出すから,絶対にフィードバックしてくるといったほうがいいのかもしれない.成功するまで諦めなければ絶対成功する,的な.思い出さなきゃそれはそれ.
でも,そもそも「知る」ことは歓びだ.知的好奇心が満たされるのはそれ自体が目的である.本を読むために本を読むなんて,自己目的的で純粋で楽しい.もちろんそこで得たものを生かして何かを成せるならそれはそれでハッピーエンドだけど,「将来への投資」と吐きそうなほど甘いことを吐かしながら色んなコンテンツに触れるのはきっと良いこと,少なくとも善いことではあるだろう.知ることの素晴らしさがひしひしと伝わる漫画として,たなかのか『すみっこの空さん』をどうぞ.
本を捨てるなんてとんでもない.それは経験と知識をただただ投げ捨てる行為に他ならない.本を売るのは次善策.それは経験と知識を文字通りに切り売りする,脳を削って売るようなものだ.つまり,本の処理は捨てるよりも売るよりも,他人にプレゼントするべき.……捨てられない現代人である.
- 作者: 更科功
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: たなかのか
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