百合と漫画と光る苔

百合とゲームが好きです

パイパイポンポイ プワプワプー  ――秋山はる『こたつやみかん(1)』感想

 お父さんは、出張に行ってくる
    ――毛利衛

 高校で,部活で,落語もの.そんな『アフタヌーン』に掲載されている漫画,1巻.

 どん臭くて,メガネで,友達いなくて,勉強もスポーツもできなくて,メガネな主人公・坂井日菜子.そんな彼女の(唯一の?)趣味が落語を聞くこと.出かけた寄席で偶然会った文武両道転校生・有川真帆と,自信家でミステリアスなイケメン・梶浦悠太と共に,落語好きな3人で落語研究同好会を設立する……というのがアウトライン.

 落語は毎回やってくれる上に解説もそれなりについているし,綺麗に正のフィードバックが収まっているしでとにかく面白い.特に,ありがちな無知素人キャラが居ないため,3人での会話シーンはまるでヲタクがアニメについて饒舌に語るときのように,もしくは風船でバレーボールをするかのように,専門用語と文脈依存の台詞をふわふわ宙空に浮かせながらテンポよく小気味よくキャッチボールを重ねている.

 わかった!
 落語って―― 宇宙なんだ!

 要は「濃い」のだ.ネタの解説はあくまで最低限,これを理解するには原典に実物に触れる必要があるからとっとと読め聞けと,暗に声高に主張している.そしてそれを話している3人が実に楽しそうであるからこそ,この誘惑は確かに実際に効果覿面である.

 また,個人的に見るべき所として,「日菜子のメガネの使い方」に焦点を当てたい.部室でも自分の部屋でもそばを食べるときにすらメガネを外さない彼女が,噺を始める時に限ってメガネを外すのだ.

 そう,メガネの一つの側面に「スイッチ」という機能がある.オンオフのスイッチ,外内のスイッチ,防備無防備のスイッチ.メガネという存在自体が,既に内在する二項対立を顕すサインでありシンボルである.そして,メガネに依って表裏を項を入れ替える.

 「浮き世は一分五厘」って言うでしょ?
 この世は所詮かりそめだよ
 その証拠にほら
 お客さんみ――んなぼやけて見える
 まるで幻みたい

 日菜子にとって,少なくとも最初にメガネを外す理由は後ろ向きだった.練習してきた家での環境状況と同じくするために,お客さんを幻にするために外したのだ.しかしそれは能動的な覚醒ではなく,目を防いで塞ぐためという受動的な逃避.

 それが,そのメガネが,変身ステッキであるかのように作用された瞬間から,彼女は2つ目の項を,深みを得る.部室で部員を前に――つまり目線を遮る必要のない相手に環境において――落語をしている時にすらメガネを外している日菜子は,明確にスイッチとしてのメガネを獲得することに成功したのだ.

 そして得られた裏面は,表面と着実に混ざっていく.授業中に落研の宣伝を始める日菜子は(,落語関連の話題故に唇を湿し舌を回したということもあろうが),もはや威嚇された小動物と評されることはないだろう.つまり,間接的にメガネはオーナーを進化させるツールでもあると言えるのではなかろうか! やはりメガネは正義だった!
 
 敢えて1つだけ挙げるとすれば.『オクターヴ』が素晴らしい百合漫画だったからこちらも……とは残念ながら行かなそう,すなわち百合分は少なくともこの時点ではあまり期待できない.でも面白いから.日菜子のキャラクターと3人の軽妙な会話がわたしにとってはツボでした.

こたつやみかん(1) (アフタヌーンKC)

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おジャ魔女どれみ16  Naive (講談社ラノベ文庫)

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